COLUMN
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 レフティ名波と同じく、"黄金の左足"と呼ばれたことがあるジュビロの杉山隆一スーパーバイザーは、名波の移籍を、若き日の自分とだぶらせた。昭和三十九年の東京五輪。日本がアルゼンチンに歴史的な勝利を収めた帰りのバスの中。日本代表の当時のクラマーコーチは杉山を呼び寄せ、こうつぶやいた。「アルゼンチンの五輪代表監督がおまえを母国につれて帰りたいと言っている」

 翌日のスポーツ紙一面には「杉山二十万ドルの足」の見出しが躍った。「当時はラーメン一杯四十円。学卒の給料が二万円弱だったと記憶している。僕は移籍なんて言葉もわからないし、考えられない状況だった」と杉山は言う。アルゼンチンの非公式のオファーはご破算になった。

 時代は変わった。あれから三十五年を経た現在、世界のサッカーは、移籍自由化の波をかぶっている。ただし、日本は島国。欧州や南米のように他国の選手との交流は少ない。杉山も「名波の技術や戦術眼は、欧州の選手と比べても見劣りはしないでしょう。問題は、生活、文化の違う国ですんなりとチームにとけ込めるか。ドゥンガもジュビロになじむまでは三年かかった」と、環境の違いを不安材料に挙げる。

 当たりの激しいセリエAで、体力が持つかの声もある。だが、名波はW杯フランス大会以降、相手の当たりをかわす早いパス回しを心掛けてきた。世界を意識した技で、激しさをしのぐ覚悟だ。あえて世界最高レベルのセリエAに働き場所を求めた名波。杉山は後輩の英断を静かに見守っている。

(完)


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