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四人兄弟の末っ子。長男が西益津サッカースポーツ少年団に入っていたため、名波も三才から自然と、ボールをけるようになった。雨が降れば、浩ら四人兄弟は藤枝市内の自宅の六畳と八畳の障子を外して、サッカーに興じた。電灯が壊れ、ふすまは破れたが、両親はおかまいなしだった。
性格は親分肌。電話で広場に仲間を集合させると、「お前はAチーム、君はBチーム。ルールはこうする」とチームを仕切る。そして遊びを始めると、名波は自分のチームが勝つまで遊びを終わらせなかった。「手がかからない子供だった。自分の行動は全て自分が決めて、皆をぐいぐいと引っ張った。小さいころは、顔が丸く、体も太かった。漫画の”ドラえもん”に登場するジャイアンのようだった」と母・祥江は振り返る。
西益津幼稚園から同級生の杉山豪(藤枝市内、会社員)は「非常に負けず嫌い。その一方、相手を思いやるやさしさも兼ね備えていた」と言う。名波は、西益津サッカースポーツ少年団には三年の時に入団した。四年の時には、六年と一緒に試合も行った。選抜チームの藤枝FCでも活躍した。名波の左足から繰り出すパスは、大人顔負けの鋭さがあった。
だが、小学生段階では、足がそれほど速くない名波は、同期の渡辺毅(現Jリーグ・柏レイソル)や永井克俊(現藤枝市役所)らに比べて、目立たなかった。この時点で名波が将来、日本を代表する選手になるとは誰も予想さえしなかった。 |
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