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「なぜ、地元の学校に通わないの?」。藤枝から清水市商高に通うことで、周囲にそうした批判も聞かれた。だが、名波は結果を出すことで、批判を沈黙させた。名波が入った清水市商高は平成元年、高知県で開かれた全国総体で初優勝。
名波の左足はさえ渡った。決勝の大宮東戦は1得点2アシストの活躍を見せた。名波にとって、一年先輩の藤田俊哉(現ジュビロ磐田)との出会いは、名波の力をさらに引き出した。名波と藤田とは「サッカー観」が似ていた。藤田は当時を振り返る。
「たとえば名波がドリブル突破して前を向く。僕はその時点で名波がシュートに対してどういうイメージを描いているのか分かる。誰がおとりで誰にパスを出すか.。僕と名波は共通意識で結ばれ、ある瞬間、ゴールへのイメージがぴったりと重なった」
教えられてできるものではない。藤田とのコンビプレーは、人を使うタイプの名波にサッカーの楽しさを植え付けた。以後、名波は独自の「サッカー観」を貫いた。
「サッカーは自分が楽しみ、観客が喜ぶものでなければ、面白くない」。さらにパワーアップした清水市商は、翌年の宮城総体でも連覇を達成した。中盤に名波、右ウイングに山田隆裕(現ヴェルディ川崎)、CFに田光仁重(現静岡スバル自動車)をそろえた布陣は、最強チームと評価された。名波はその後、順天堂大を経て、平成七年、ジュビロに入団した。そこには名波が慕っていた藤田がいた。 |
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