1995年に大学ナンバーワン選手と謳われジュビロ磐田に加入しプロデビュー。開幕戦でスタメンに抜てきされ、そのままレギュラーに。同年には日本代表に初選出され、代表デビュー戦ではいきなり得点をマークした。ゲームを組み立てる能力を高く評価され、代表にも定着。背番号10番を背負った。
フランスワールドカップ予選では韓国戦でゴールするなど出場権獲得に貢献。本大会でも相手の厳しいプレスに悩まされる中、ゲームを組み立てた。1999年には念願だった海外移籍を果たす。移籍先のヴェネチアでは思うような結果を残すことはできなかったが、海外でのプレーは他では得ることの出来ない経験となった。
アジアカップ2000では、中村俊輔をはじめとした若い選手達を統率し、自身も得点を決めるなど優勝に貢献し、大会MVPにも選出された。2000年のリーグ戦終盤にジュビロ磐田に復帰した。
2001年には名波浩をボックスの中央に配置したシステムがJリーグを圧巻した。「N-BOX」の誕生である。シーズン途中で右膝の怪我が発覚し、この怪我の影響で日韓ワールドカップには不参加となる。しかし、2002年にはJリーグ史上初となる完全優勝に貢献。
2003年以降、彼が与える影響はまだまだ大きかったが、ジュビロの世代交代と自身のコンディションなどの関係から出場試合数・時間が減少し、2006年シーズン途中にサッカースタイルなどの問題もありセレッソ大阪へ期限付き移籍、2007シーズンも東京ヴェルディへと期限付き移籍した。
2007シーズンで現役生活にピリオドを打つことを示唆していたが、2008シーズンはジュビロ磐田に復帰し現役続行となった。 |