Jubilo-IWATA
社名 株式会社ヤマハフットボールクラブ
所在地 静岡県磐田市新貝2500番地
設立 1992年8月
代表者 松崎孝紀
スタジアム ジュビロ磐田スタジアム
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チーム沿革
1994年シーズンよりJリーグに参入。日本代表監督であったオフト氏を監督として迎え、新しいスタートを切ることになった。元オランダ代表のファネンブルグ、元イタリア代表でW杯得点王でもあるスキラッチ、ブラジル代表主将のドゥンガといった大物外国人をチームに加入させる一方で、藤田、名波、服部、田中、奥といった有望な若手選手を獲得。さらには、当時は無名選手だった福西、鈴木の才能を開花させた。96年には4位という結果をおさめ、優勝争いができるチームの基盤を作った。

97年は新監督に名将フェリペが就任。シーズン途中で監督を辞したが、勝利に対する執着心を植え付けることに成功し、後を引き継いだ桑原監督代行が選手達をまとめあげ見事Jリーグ初制覇を果たした。99年には2度目のJリーグ制覇を達成する。

2001年は年間で史上最高勝率でシーズンを終えるが、チャンピオンシップで鹿島に敗れ、年間王座の地位を奪回できなかった。年間で3敗しかしていないチームが優勝できないという2ステージ制の矛盾点を明確にした。2002年は前年の苦い経験を糧とし、両ステージ制覇という偉業を達成。また、高原が史上最年少で得点王を獲得した。

2003年は連覇が注目されたが、高原の移籍、シーズン途中で藤田が移籍し、その穴を完全に生めることができず、両ステージともに2〜3位で終了。しかし天皇杯ではジュビロ磐田として初めて優勝。シーズンラストのタイトルを獲得した。2003年は成岡、菊地、河村など今後のジュビロに欠かすことのできない選手たちが成長し、2004年に期待をもたせた。



獲得タイトル
1997年   
1998年   
1999年       
2000年
2001年
2002年     
2003年 天皇杯

ファーストステージ セカンドステージ チャンピオンシップ ヤマザキナビスコカップ
ゼロックススーパーカップ アジアクラブ選手権 アジアスーパーカップ